環境コスト等が上乗せされない農産物


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以前、下のような記事を書きました。

農産物の価格についての個人的な考察でしたが、今回も、この農産物の「価格」について補足的に思うところを書き連ねてみたいと思います。

上の記事で伝えたかったことを要約するとすれば、以下のようになるかと思います。

公益性の高い事業は、社会全体で関心を持ち、関わり、支える必要がある。なぜなら、その果実は将来的に社会に還元されるから。

https://sinfonia-farm.com/about-price-organic/

私自身、生産者である以前に消費者でもありますが、いち消費者としても、いち生活者としても、強くそのように思っており、普段の購買活動でもそれを意識するように心がけています。

ただ、今回はそういった側面だけでなく、また別の側面から農産物の「価格」というものについて深掘ってみたいと思います。


いわゆる近代的な工業的農業は、多くの人間を養ってきたという事実があります。ただ、不自然に増えすぎた単一の生物種(人間)を養うために、もといそれ以上に大量のフードロスを生み出すほどの食料を生産するために、相当な環境負荷を生みながら食糧生産を続けてきました。

環境や働く人に負荷がかかる以上、それはコストとして本来最終成果物としての商品の価格に含まれていなければいけません。ところが現実には、低賃金や過重労働といった形で働く人間にコストが押し付けられ、環境コストも社会に押し付けてきたのが実態です。

そうしたコストを免れることで安く販売できる商品は、購入する側からすれば安くで済み、ある意味得をしたような気分にもなりますが、安いものにはちゃんと理由があり(例えば健康を害する成分が多く含まれている等)、環境への蓄積した負荷も、いずれ人類の連帯責任という意味で、自然災害といった形でちゃんと帰ってきます。

「エネルギー保存の法則」じゃないですが、総量は予め決まっているため、どこかでのしっぺ返しは免れないということでしょう。

普段から価格選好で「安い」という基準だけで食べ物を選んでいく生活を長年続けていれば、いずれ何かしらの病気になって、場合によっては、それまで安くで済んできた以上の医療費コストや働けないことによる経済的コストを負担することになる(精神面ダメージも)、という話もひとつの例です。

つまりは、食料品にせよ日用品にせよ何にせよ、過剰に安価な商品は本来負担すべきコストを負担しておらず、本来はより高い値段であるはずのものである可能性が高いということです。(もちろんすべてが当てはまるわけではありません)

(なお、いわゆるワーキングプアや低所得者であるために安価なものしか選べない、という問題は、これとはまったく別の社会問題ですので、ここでは分けて考えて頂ければと思います。)


農産品については、(あくまで近代農業的な慣行栽培を否定していないことは先に書いておきますが、)少なからず慣行栽培の農産品には、本来加味されるべき環境コスト(環境税等で徴収?)は含まれておらず、本来あるべき価格よりも相当程度安い値段で流通している傾向があります。(これも、当然例外はあります)

私たち消費者はその相場に慣れているので、自然栽培といった野菜等の価格を見ては「高い」と感じます。しかし、本来は慣行栽培の野菜等であっても、もっと高い値段がしてもおかしくはないわけです。

もっと言えば、無施肥の自然栽培野菜などは慣行栽培野菜にくらべて、細胞がより細かく緻密になり、水分の割合が相対的に少なくなって、その分単位重量あたりの栄養価が高くなります。「水」の部分にお金を多く払うひとはいません。

また、堆肥や有機質肥料を使わないことで硝酸態窒素や過剰なリンが発生しずらく、栽培法によっては地下水や河川・海洋を富栄養化などで汚染する可能性の残る多くの有機栽培農産物(狭義)に比べても、その環境コストは小さいと考えられます。(堆肥等を使用しても高度な技術と経験によって環境コストを限りなく小さくすることは可能で、それを実践されている農家も存在します)

もちろん施肥栽培野菜と無施肥栽培野菜は単純比較ができず、過度な一般化は避けるべきですが、基本的な考え方としては、無施肥栽培野菜は施肥栽培野菜(慣行栽培・狭義の有機栽培)に比べ、相対的に社会性・公益性、希少性、健康面でのメリット等が高く、環境コストを加味した前提で言っても、無施肥栽培野菜が施肥栽培野菜よりも高価になるのは、少なくとも現状では道理のうえで当然ということになりそうです。


あえてこのような記事を書いているのは、上に書いたような事実がまだまだ周知されていないからなのですが、残念なことに、現状はまだまだ一般には知られていないことでもあるため、苦労をして無施肥の野菜を作っても、それほどの需要がない(ないしは価格選好によって選択されない)というのが現実のようです。

個人的には、施肥防除前提の多くの有機栽培野菜は、化学肥料や化学農薬を使う慣行栽培野菜にむしろ近似したものと捉えていますが、無施肥の自然栽培野菜が、広い意味での「オーガニック/有機野菜」にカテゴライズされて、そうした施肥型有機栽培野菜といっしょくたにされるか、有機JAS認証をとっていないという理由だけで有機JAS認証付き野菜に劣ったものと捉えられる、ということもあるようです。

私自身が自然栽培農家のため、自分ごとでもありますが、それ以前に、日本の今後の食をめぐる安全を考えると、これでは敢えてリスクをとって無施肥前提の栽培をはじめようとする若い人は増えないでしょう。

肥料は無機有機問わず、その調達に限界があるものであることは、コロナ禍、そしてロシアによるウクライナ侵攻に端を発した輸出規制等で、より明確なものになりました。有機質肥料でさえ価格はじわじわと上がってきています。

無施肥技術の可能性をはじめから潰してしまい、有機質肥料や堆肥の施肥栽培ありきで「食の安全保障」を担保させようとすること自体に大きな将来リスクがあります。

そこには、作物は「肥料」をやらなければ育たない、という根強い先入観があります。非常にもったいないことでもあり、実践農家としても歯がゆさを感じるところでもあります。

いち農家としてできることにも限界がありますが、少しでも無施肥栽培の可能性を意識してもらえるように、情報発信を続けていければと思います。

乱文、失礼致しましたm(_ _)m

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