大地を誉めよ 讃えよ 土を「大地讃頌」


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「大地讃頌」といえば、多くの方が中学や高校で合唱として歌われたことがあるのではないでしょうか。

僕自身も、中学生のとき、学祭のようなイベントでクラスで合唱した経験があります。実はその時のことを未だに覚えています。

まだ中坊ですから、あまり歌詞を深く考えたりしていたわけではありませんが、この曲のもつ力強さと訴えかけてくる何かが、その頃の僕を感動させていたのだと思います。

ちなみに、妻は昔、この「大地讃頌」の合唱のピアノ伴奏を担当したそうです。伴奏としてはとてもむずかしい部類だったようです。

話を戻すと、それから長い年月が経ち、この「大地讃頌」という曲のことは、これまで特段意識したことはありませんでした。ある日、畑で「土」に触れていたとき、なぜかふと、この「大地讃頌」の4文字が頭に浮かんできました。

さっそく家に返ってYouTubeで聴いてみると、みるみる心が洗われていくような、それでいてそこには、普段の畑仕事の苦労をも癒やしてくれるような優しくも力強い響きがありました。

ぜひYouTubeなどで「大地讃頌」を聴いてみて頂きたいと思います。

以下に、いくつかの歌詞を抜粋させて頂きます。

「大地を愛せよ 大地に生きる」
「その立つ土に感謝せよ」
「大地を誉めよ 讃えよ 土を」

人間にとって「食」は生きるうえで欠かせないものであり、その食は土によって成り立っています。自然と人間を対立的、二元論的に捉える近代西欧的な価値観、世界観、人間観、自然観では、近代化のもたらした様々な歪みや矛盾を見るまでもなく、人間は生きる土台を失ってしまい、砂上の楼閣のようにいとも簡単に倒れてしまいます。

そういった意味で、農業や漁業といった食の一次生産業ほど重要な産業はありません。古代文明が土の搾取や収奪によって滅んでいったように、こういった一次産業や自然を軽視すればするほど、その国や地域は衰退していくのだと思います。

この「大地讃頌」という曲(1962年 大木惇夫作詞・佐藤眞作曲)は、もともと全7楽章ある「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』」のうちの最終楽章であるということを今回はじめて知りました。YouTubeでも全曲を聴くことができそうです。

作詞をされた、故大木惇夫さんも、作曲をされた佐藤眞さんも、戦後日本の急激な近代化で傷つけられていた瑞穂の国の豊かな土をなんとかして守りたかったのかもしれません。

日本の食の安全保障をめぐる問題には、人口減少や少子高齢化、農家跡継ぎ問題や高騰する化学肥料の問題、そしてなにより食料自給率(カロリーベース)の低下が関わっており、一筋縄ではいかないと思います。

それでも、食の安全を確保して、これからの日本を支える子どもたちが大人になったときに食べ物に困ることがないよう、化石燃料に頼る持続可能性の低い農業から脱却して、これまでになかったような新しい農業のあり方を創造していくことは、急務であって不可避です。

僕自身も微力ながら日々畑で、無施肥・無投薬の多品目栽培に挑戦し続けています。誰かがやらなければいけないことです。ですので、この挑戦は、自分が死ぬまで続きます。挑戦の仕方は変わるかもしれませんが、この未来の人類の生死をも左右する挑戦自体は、僕自身の使命のようなものだと捉えています。

ときにはこの「大地讃頌」を聴いて、歌詞を噛み締めながら、原点を失わないように前に進んでいきたいと思います。

そして、土に感謝することを忘れずに、今日も畑仕事に勤しみたいと思います。

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