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自然栽培農家の伊藤祐介です。
2018年秋、六甲山北側の兵庫県三田市という自然豊かな里山で農業を始めて、早くも4年めとなりました。
1年めはまだ就農したばかりということもあってモチベーションも高く、やる気にも満ちていたのですが、2年め3年めは次第に忙しくもなり、眼の前のなかなか片付かない膨大な仕事量に圧倒され、作物を観察する余裕さえも失いつつある状態でした。
3年めについては、土の揺り戻し反応(圃場借り入れ前、長年化学肥料と農薬が使われてきたところを、一変に無施肥無投薬に転換したために起こる一種の禁断症状)も原因のひとつではあったと思いますが、土や作物に手を施すべき農家である僕自身がそれを怠りがちだったことによって、特に夏野菜を中心に、苗の段階で植え付け後に生育せず、収穫ゼロとなる品目が多発してしまったのでした。
かわりに別の作物を作付するなどして、売上自体は年々右肩上がりで上がってきているものの、次第に畑に足を運ぶことさえも億劫に感じられて、このままではいけないと危機感は募る一方でした。
就農当初から、圃場全体において無施肥無投薬栽培を行うことにしましたが、情報が極端に少なく、周囲にそれを実践されている農家もほぼいません。この先どうなるのかも全く見えない状況に苛立ちや不安感は隠しきれません。
それでも不思議なことに、農業といわず、無施肥無投薬栽培さえも決してやめようとは考えませんでした。その根拠のない希望によって、ぎりぎりの精神状態で繋ぎ止められていた、といった感じです。
このままではまずい、と危機感を募らせてきたのが4年めに入ってから。3年めに栽培で失敗が続き、根本的な考え方・やり方が間違っていると気づくようになりました。
どこか自然に対する甘えがあったのだと思います。「自然に任せておくのが一番いい。できるだけ手は抜いた方がいい。」という考えがベースにありました。
しかし、例えば自然を保護することが単に自然を放置することを意味するのではなく、人の手によって積極的に豊かにしていく必要があるように、農業においても、田畑では「人」の手によって作物をしっかりと支え、整え、維持していくことがもっと必要だと気づきました。
もちろん農業は本来、作物をほったらかしにするものではありませんが、作物への常日頃の関心、観察、手をかける、ということを、就農2,3年目は十分に行えていなかったということです。
それは、誰かに教えてもらったというより、畑で「自然」という先生から、日々の農作業を通して教わったものです。知識としては、作物は手をかけなければならない、ということは知っています。本を読めば容易にそれを知ることもできます。
ただ、頭で知っているということと、腑に落ちて体全体で識っているということは別物だということも、改めて思い知らされました。とくに自然を相手にする農業は、理論はもとより、実際に自分でやってみて、失敗を繰り返して教訓を得ていくという、まさに「実践」がものを言うのだと思います。
ちょうど6月に入ったところで、5月の夏野菜の植え付けラッシュも一段落した感がありますが、多忙ながらもできるかぎり時間をつくって、苗たちを観察したり、時には話しかけたりして、作物を気にかけるように意識しました。
そのせいかはわかりませんが、今年の春夏野菜たちは昨年と打って変わって、元気に育ってくれている野菜が急激に増えました。
ちょうど今の時期では、全くと言っていいほど虫食いのない、綺麗なだいこんが成長しています。ハウスのトマトも、今年は昨年のようなネキリムシの大規模な被害が全くなく、元気に太陽の日を浴びながら「元気だよ」と僕に訴えかけてきてくれます。
作物も人間のように、こちらから思い続けていけば、きっとその気持ちが伝わって、作物自身の元気な成長や美味しさというかたちで応えてくれるんですね。
これが、僕のここ最近の畑での感動体験でした。
まだしばらく無施肥転換による好転反応は続くと思いますので、一進一退の状況が続くとは思いますが、作物たちのことは常に思い続けながら、毎日畑に足を運ぶのを楽しみにしていきたいと思います。